アラビア語の機内放送の練習
カサブランカから南に250キロのマラケシュに向かう早朝の列車で偶然道連れになったのはモロッコ人とアルジェリア人のお兄さん達。簡単なアラビア語レッスンばかりか、私がスチュワーデスとわかると
機内アナウンスの丁寧なアラビア語バージョンまで紙に書き、マイク持った真似して実演までやってくれるというお茶目な2人組だった。
おまけにマラケシュ到着後は駅近くのカフェで現地の朝食の定番クロワッサンとコーヒーまでご馳走になっちゃった。さすがにデーツ(ナツメヤシ)を郵送してあげるよ、という申し出は固辞したけど、今だったら図々しく「ありがたく頂戴します!」と言ってるかも。
毎日お祭気分で
映画にもよく登場するマラケシュの世界遺産、ジャマ・エル・フナ広場を見下ろすホテルの部屋から定点観測すると、夕方になるほどに「きちがい広場」に人が集まって来るのがよく見える。ケバブやエスカルゴ料理の屋台、山ほどミカン並べてるおじさん、民族衣装で派手に水を売るおじさん、蛇使いなどの怪しげな大道芸人が所狭しと店開き。そしてそれらを目当てに集まる人、人で広場は夜まで混沌とした空間になる。毎日お祭?
千年で千筋の路地
迷宮都市とはよく言ったもので、世界遺産の古都フェズの旧市街には千年以上の間に千筋余りの複雑な路地が横たわり、私もひとしきり探検ごっこを楽しんだ後は迷宮に暮らす楽器使いのお兄さんに出口まで連れ出してもらった。革製品屋の屋上から見た夕日に浮かぶ古い家々、革職人達が汗を流す原色の仕事風景、申し訳無さそうにうつむきながら狭い道をすれ違って行くロバ、山ほどの荷物に埋もれながら黙々と歩く運ぶおじさん、門の隙間から覗き見する庶民の生活… 迷宮では路地の数だけいろんな景色が楽しめる。
モロッコ時計を逆進
モロッコの見どころを時計に例えるとラバトは12時、カサブランカは10時の位置にある。8時を指すマラケシュからアトラス山脈南側のワルザザードまでの200キロの行程は化石のような古ぼけたベンツの乗合いタクシーで移動。ワルザザードはちょうど文字盤の6時の位置にあたる。目指すサハラ砂漠への拠点エルフードはそこから更に4時まで時計を戻す事400キロ、バスで8時間。ついでに言うとフェズは2時の位置にあり、エルフードから時計と逆周りで400キロ9時間。
読んでるだけで背中もお尻も痛くなりそうでしょ? 私は現地の人達が普通に乗るタクシーや長距離バスで移動したので道中ナッツのお裾分けやお茶をご馳走してもらったり モロッコの学校の校長先生と文化について語り合ったり、帰省途中の大学生と話が弾んだりでかなり忙しい移動だったけど。
誰か私を砂漠に連れてって
エルフードに着けばガイドブックにあるようにサハラ砂漠への現地ツアーがよりどりみどり、と思ってたら大きな間違い。どうやら季節外れで観光客がほとんどおらず、いつもは効率よく何人か集めて車を出す現地オペレーター達は こんな日はお客を探し出すのも面倒なよう。
客引はどこ? 誰か砂漠に誘って〜 サハラ砂漠を見にはるばる香港から来たのに〜 という悲痛な叫びが聞こえたのか、16歳の客引がやっと声かけてくれた! でもここで焦ってはダメ、堂々と構えてちゃんと値段交渉しないと… 内心は「そんなに値切るなら他の車見つけたら?」と立ち去られたらどうしよう、とドキドキしてたけど、大和撫子強し、最後は少年が「こんな安い料金で車出した事ないよ〜」と嘆く値段で交渉成立。あちらも”本日の売上げゼロ”よりはマシ、ってところだったのでは。ジープを待ってる間、少年がベルベル人の音楽と新鮮なミントの葉っぱがどっさり入った正真正銘のミントティーでもてなしてくれた。
さらさらの砂漠
それは詩的なひと時だった。これがあのサハラ砂漠! 子供の頃から想像を馳せた夕陽を浴びるサラサラの砂、ターバンを巻いた異国人(この場合はベルベル人)、ゆったりと歩くラクダが目の前に広がっている。自分の世界に浸っていたら そのベルベル人のラクダ遣いが「香港から来たの? ジャッキー・チェンもロケで来たんだよ」といきなり現実の世界に引き戻してくれた。ベドウィンのテントで甘い紅茶をご馳走になった後、再びジープで神秘的空間から喧騒の街へ。はるばるバスに揺られて来た甲斐あった〜